中間シェアは、滞在6日目にクローズドで行われた。参加俳優は、場所を選び、それぞれ発表した。最終日の公開シェアでは、事前に告知がなされ、集まったひとに開かれた場で、参加俳優による発表がなされた。全員の発表ののち、記録チームの馬淵を司会に40分程度のトークも行われた。
場所は屋上が選ばれた。依田に「心臓の音を足で取る」ように指示し、小林の心拍に従い足音が踏み鳴らされる。鉄の平台のうえで、小林が話す。
「自分から自分の言葉では 表現しきれないものがある でそれを 百パーセントで伝えたいんだけど 言葉だけだと その目の前にいて感じてないと 自分が百パーセントで手渡せたっていう感覚がしなくて 言葉だけ手渡してそのままにしてしまうと 自分が吐き出す言葉っていうのに自信がもてないから それで百パーセントで伝えられてるって思えないから なにか体を動かしたりとか その時の空気の共有みたいなもので なんとか伝えようっていうのをしているのかなって 思いました」
(広い意味で)演劇は、このようなコミュニケーションの手段として用いられ、言葉にすることは「その瞬間じゃなくて また振り返る形で変化していった時に 補助的に助けてくれるもの」として、捉えられる。
同時に「言葉にすること」のリスクについても話された。言葉によって「ジャッジ」される(する)ことを避ける。そのために「自分が感じたままですってやれる状況にするために 自分のために自分にレッテルを貼らない」ことは、倫理として求められる。
「落としどころはない」と言われるように、「言葉にすること」のリハビリとして中間シェアは用いられた。「言葉にすること」のよしあしを取りあげて、使い方を学ぶためのトライアルだったといえる。
中間シェアは、自分のために用いられた。公開シェアでは、「言葉にすること」と、そのしつらえが、「私にとっての演劇」を「だれか私じゃない人に手渡す」ために、用いられた。
「言葉を伝えながら みなさんにできるかぎり 私の思う演劇っていうのを伝えようと 思って」
「私にとって」演劇がどういうものであり、どういうものでないのかを「言葉にする」かたちで、挙げていく。だが小林にとって、演劇において「言葉にすること」は、かならずしも有効ではない。
「たとえば わたしが こうやって 考えたり感じたりした こうゆう 文字たちを 感情たちを 燃やした時に 今遠くにいる人は もしかしたら 感じないかもしれないけど いまここはすごく あったかくて そのあったかいねっていうのを 感じる っていうのを こうやって こういうことをやっていると 感じるから こういうことやってんのかなって 思いました」
発表の結びでなされたことは、(言葉も使って)「伝える」ことの本質をめぐる提起であった。同時に「私にとって」のことだから、本質でありうるともいえる。
「角度を変えることによって 見えたことを思うだけじゃなくて みんなで 私はこう見えたこう見えた っていうのが こう いっしょになったときに ひとつの世界が出来上がるっていうのが わたしはすごく 美しいことだなって思って」
「私にとって」の本質と、その外とのつながり(たとえば演劇)が、主題化されている。
雨が降る中、屋上がふたたび用いられたことを念頭に、演劇が場であることを意識させられた。場である演劇において「私にとって」の本質は、「あたまのなかに一人で閉じこもっている」ようなもので、「寒い」。たとえば炎を囲んであたたまるための場が、演劇のひとつとして数えられるなら、〈Ship〉がどういう場であるか、そのしつらえについて問いを持つことも可能だろう。
記録チーム 飛田ニケ
【小林 玉季 Tamaki Kobayashi】
1991年11月16日11時16分、O型の父とO型の母の間に生まれる。さそり座の女。劇場を中心に活動していたが、劇場の外との対話から生まれる作品に興味を持ち始め、劇場の外ではとどまらず、好奇心のままに国外へ。そのうちに、日本・台湾・インドネシア、シンガポールのメンバーからなる、身体、精神、思考、創造の角度から一人一人のウェルネスをデザインする多国籍集団(5ToMidnight)と活動するようになる。2020に起きたこの出来事により、心の世界と身体の世界の関係に興味を持ち、幸せと健康を創造できる人間になるべく、現在は瞑想、ヨガ、仏教哲学、脳科学、解剖学を勉強中。