前日の夜の「利き服」、午前にあった日下七海さんのワークショップに続き、午後も服についての時間でした。一行は若葉町ウォーフから表参道に向かいます。
今回の狙いは、服を着ることによって起こる身体感覚の変化を感じとること。似合う・似合わない(ファッションとしての服)というより、今回はもう少し直接的に身体感覚と向き合うことがメインテーマでした。
ISSEY MIYAKEがウィリアム・フォーサイスと、Yohji Yamamotoがピナ・バウシュと、Ka na taが飴屋法水と、などパフォーミングアーツと関わりのあるブランドを選び、直接訪れることにしました。
このレポートの後半で各俳優からヒアリングした内容を共有します。
まずは「訊き服」。 「訊き服」では、ペアになってISSEY MIYAKE、COMME des GARÇONS、Yohji Yamamotoの日本の有名デザイナーズブランド3店にアジア系観光客のふりをして入り(これは入店のハードルを下げるためであり、これ自体に意味はない)、服を試着してみる(可能ならば写真を撮る)ということをしてみました。
小林さんは持ち前の英語力を使って完璧にアジア系観光客を演じていました。それでバンバン、バンバン、試着していました。すごい。
牧さんはISSEY MIYAKEで店員さんと楽しそうに会話していました。
依田さんと一緒にPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEに入ったときは全くの創作言語で会話しながら、店員さんにだけ英語を話して試着しました。
キサラさんはISSEY MIYAKEで初めに服を試着しているのは見届けましたが、その後は試着できたのでしょうか。とにかく会うととてつもなく疲れていました。
渋谷にあるブランドKa na taを1時間貸切にさせてもらい、店員の目などを気にせず好きなだけ試着させてもらいました。「聴き服」は「訊き服」よりさらに洋服と身体の関係に集中する時間としてもうけました。
ここからはヒアリングの内容とその考察をしていきます。
COMME des GARÇONSは生活と背伸びの間。布地が硬めのものが多いこともあり生活しやすくはない。気分がウキウキして町に出たくなる。実際着たときに肌になじまず、服と体が分離していると感じる。私と服の間に距離を感じる。例えるなら外に行くときに身につけるエプロン。1枚挟んで外側からつけるものというイメージ。服が先行する感覚。自分が主導権を握らなくても何か新しい自分・普段とは違う何かを持たせてくれる。
Yohji Yamamotoは体と一体化する服とガンダムみたいに装備して戦いに行くような服とある。例えるならモードな肌襦袢と着物というような感覚。「肌襦袢」はトゥルンと肌に溶け込んでくるんじゃと思わせる。着たら裸。「着物」は色々な生地が使われていたので場所によって異なる感触が得られる。とくに軽い生地の部分に意識は向く。
ISSEY MIYAKEは波をまとうイメージ。しめつけられている感じがせず、快適さが考えられているように思う。肩ひじ張らずに済む。視覚的なイメージを除いても、身体と服の関係だけで隙間の時間を服が演出してくれるように思う。五感を意識せずとも自然と内側に外の情報が入ってきている感覚。 Ka na taは服と会話する時間を焦らされない。納得するまで会話して落とし込める。このひと(服)は私にどんな影響を与えてくれるのかとヒアリングする。背伸びをせず等身大のままで包んでくれる感じ。逆に向上心バリバリのときは着ようと思わないかもしれない。着ると体のまわりの空気が変化する。ただダボっとしているわけではない。まとうために着る。カバーというよりまとっている。
COMME des GARÇONSとYohji Yamamotoの「着物」は、外に出なきゃ、背筋伸ばさなきゃと思う。服が先行する感覚。自分が主導権を握らなくても何か新しい自分・普段とは違う何かを持たせてくれる。
Yohji Yamamotoの「肌襦袢」やISSEY MIYAKE、Ka na taはただ寝転がっていられる。外からの情報を感じない(五感を意識せずとも自然に感じている?)。
COMME des GARÇONSは生き方が決まっている感じ。プライドが高いと感じる。鏡を見る前でも「ブランド着てるわ」って思う。カリッとキュッと。一番俳優モードに近い。PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEが日常風景ならCOMME des GARÇONSはモデルになった感じ。舞台にあげられる感覚。油断できない。服を着ることによって感覚が過敏に。コンセプトがあることを感じる。「あんた、これ着れる?」って服から言われる感じ。
Yohji Yamamotoは見た目はコンセプトを強く感じるが、着てみると意外と着やすい。意外と柔らかい。自分と服の親和性は高い。デザインの割に軽い(COMME des GARÇONSは見た目通りの重さだった)。もしこのままのクオリティーで買える値段になったら(上記2ブランドと比べて)1番買う可能性が高い。
Ka na taは1番余白(空間)を感じる。1番「どう着ても良いですよ」という感じ。COMME des GARÇONSは見る見られるに意識が向いて他人との距離に過敏になるが、Ka na taは逆にならない。
COMME des GARÇONSはこんなもんかという感じ。値段と服を着たときの身体感覚が釣り合わない。
ISSEY MIYAKEはしめつけられる感じがしなかった。
これらの3ブランドではまさに服に着られているという感じがした。高そうな割に繊細ですぐ破壊してしまいそうで色々心配してしまい身体が疲れるという1種の身体感覚の変化。
Ka na taは前述の3ブランドより良いかなと感じた。手入れのしやすさを感じた。体がリラックスできる。支配的でなく、一緒に生きられる。何か(心が)柔らかくなったような感覚を抱いた。
服を着ることによって体と心が繋がっているから、服によって心のあり方をコントロールするみたいなことは可能なのではと思った。しめつけられる服を着ていたときには起こったことがKa na taを着ていたら起こらないかも。
Yohji Yamamotoはやわらかいというイメージ。人(店員)と人(自分)の緩衝材に服がなっていた。試着してみて安心感を感じた。布地の柔らかさからだけでなく、コンプレックスみたいなものを補ってくれると感じた。これを着ていればこの服を操作することでなりたい自分になれるんじゃという予兆。さらに上着を羽織ることでさらに装備が強くなったと感じた。膝下まである上着を着てみて、今までこういうものを着ている男をよくわからないと思っていたが、こういう安心感のもとにいたのかと思った。
ISSEY MIYAKEは以前からプリーツの服を着てみたい(着心地が知りたい)と思っていた。なのでプリーツ一点狙いでいってポロシャツにプリーツ加工がされたものを試着。すごく動きやすかった。自分とかけ離れた人が着ている服のイメージがあったけど、普段着でも着たいくらいの過ごしやすさ。イメージとのギャップが印象的で身体的な驚きがあった。
Ka na taは1番新しい感覚を得た。それはワンピースを着たとき。前述のブランドでも少しずつ感じてはいた。でもここで1番感じた。Ka na taのワンピースを着ると、ふわっと柔らかいシェルターが出来上がるのを感じた。守られつつそれが自分とも一体化している。上下一体の服を今まで着たことがなかった。洋服の概念そのものが上下で別れているものという感覚。前述3つのブランドは上下の認識のままだったのでKa na taに来て初めて感じた感覚。Ka na taの服はどれも布だなあという感じがせず、シェルター(空間)を作ってもらったという感じ。体に密着してない部分が多かったのかも。服と自分の関係は「まとう」に変わっていた。自然と側にある感じ。店内を動き回れたから感じれた部分もある。
言葉は違うものの、同じブランドを着て似たような感想を抱いていることが多く、門外漢ながら各ブランドについて少し調べてみたところ、俳優たちが抱いた感想は理念から遠くないと感じました。
デザイナーたちは視覚的な部分だけでなく、着た人間の身体感覚までデザインしているのだと脱帽です。
また、それを感じ取れるところも、さすが俳優と言ったところでしょうか。
参考までに私のリサーチで得た各ブランドの特徴を。
ブランドと俳優の感覚の交差点が少し見えるかもしれません。
“「今までにないものを、人々の快適な日常のために」 ” (ISSEY MIYAKE INC. 基本理念より一部抜粋)
“ 本ブランドは、世界のファッション潮流を意識しつつも、それに抗して独自のコンセプトを貫徹させるところが際立っており、アンチモードの力強さと評されることもある。…… デザイナー自身の関心は、この意味付けよりも服の造形のほうに、より強い関心を向けているということである。コムデギャルソンを好んで着るものは、しばし、コムデギャルソンの服を「強い服」と称することがある。” (Wikipediaより抜粋)
“ 81年のパリコレで「黒の衝撃」と言わしめ、モード界の改革をもたらしたことを始め、アシメトリックなカッティングや、身体と服の間に空気をはらむようなゆったりとしたシルエットは、ボディコンシャスがファッションの慣習とされていた「常識」を覆すものであった。素材感でみせるレイヤードやドレーピングで見せる独自のスタイルは、ファッションの美意識を書きかえることとなった。” (VOGUE JAPAN Yohji Yamamotoページより一部抜粋)
“ その過程で失われてしまった柔らかい何かを探しています。それが Ka na ta であることを願っています。まず一番近いところから取り戻したいと思いました。身体のことです。
子供が突然走るとき、飛ぶとき、回るとき、そこには身体の発する言語があります。脳が発する言語よりも先に身体の言語によって動きが生まれます。そのときに現れる、ただの身体に僕はずっと興味を持ってきました。そのような柔らかさを保つ為に、服は大きく影響します。
僕が服を作る理由はそこにあります。”(Ka na ta ホームページより一部抜粋)
記録チーム 馬淵悠美