牧凌平の言葉

「私にとっての演劇」というテーマについて、それはどのようなものかと自分に問いとして投げかけたとき、とても難解に感じてしまうのは何故なのか。

 自分がこの問いをはっきりと意識したのは〈Ship〉Ⅰを覗きに行ったとき。それから約一年間、なんとなく問いかけて、忘れて、、、を繰り返しながら〈Ship〉Ⅲをむかえた。問いかけるたびに自分なりの「答え」は見つかるものの、それは次に問いかけるときには微妙に形を変えていく。今回も一年前に自分に問いかけたときとは少し違う答えが返って来た。(ちなみに1年前のノートには異世界とか心の拠り所といったメモが残されていた。)そしてその答えは、滞在から一ヶ月がたった今、もうすでに形を変えているような感覚がある。

「私にとっての演劇」という言葉は、ときに「私が演劇に期待しているもの」と言い換えることもできそうだ。演劇で実現できることや、演劇にこうあって欲しいというもの。それはたとえば、観たことのないものを観ることだったり、感動した瞬間を再体験することだったり、人の魅力を知ることとか、自分を解放することとか。とかとか。僕は〈Ship〉Ⅲでそんな風に問いの形にしていたのかもなあと思う。    改めて答えてみるならば…↓↓↓

「人(そして自分)が感じていることを場に落とし込む可能性」を期待している。

んー、難解だ。

もっと言葉を足すなら、「人が感じている意識を他者が感じ取って、それによって知覚してなかったものが知覚できる時空間って面白そうじゃないですか…?というか、演劇ってそれが実現できるんじゃないですかね…?」ってことだろうか。

 レポートということなので、〈Ship〉参加前に初日の「自分にとっての演劇」をどんな時間にしようか考えていたときのメモを載せてみる。

〜以下、メモ抜粋〜

やりたいワーク

【集中力の矛先を知るワーク】

今、自分の中のホットワードは集中力です。演技を見ているときに、その俳優が何に集中しているのかということが重要だと今思ってます!そして、それが演技に限らず、人の魅力(笑)にまで干渉してくる問題なのではないかとすら思っています。演技ではなく人がらであり人生。

そして、集中力というものについて、一年くらい考えたり考えなかったりしているわけですが、集中力にも種類があるんじゃないかと思うようになりました。これが集中力に関する第一の仮説です。今考えついている段階だと、長期集中と短期集中、それと意識的集中と無意識的集中です。意識的な短期集中がわかりやすいと思うんですが、例えば野球のキャッチャーや、ダーツを投げようとしている人、車道を渡ろうとしている人。まさに気をくばらなくてはいけないものに集中している瞬間です。誰が見ても、そして本人も、何に集中しているのか聞かれれば答えられる集中です。

次に、無意識的な短期集中、これは、面接中の就活生とか。だいたい同じようなトーンと表情で話しますよね。これってこういう型に意識的に入ろうと集中しているんだと思います。外から見てたら、ああ面接中か〜ってわかるような様子だけれど、本人に何に集中していたかって聞くと、どう聞かれた質問に答えようか集中していましたってなりそうな場合です(それは意識的な短期集中)。

長期的な集中は正直どちらもまだ明確化できてません。集中という言葉があっているのかもわかりませんが、とりあえず。 意識的な長期集中は、夢や目標に頑張っている人です。例えば劇団を大きくしたいという目標のもとに日々過ごしている人。何を目指しているんですかと問われれば、劇団を大きくすることと答えられるはずです。

最後に無意識的な長期集中、こちらはホリエモンとかですかね。彼のスピーチをYouTubeとかで見ると何となくわかりますが、自信とある種の寛大さと冷静さがあります。普通に人がらで済む要素かと思いますが、あえてここでは無意識的な長期集中と呼ばせてもらいます。その理由は、第二の集中力に関する仮説と話を繋げるためです。

第二の集中力に関する仮説とは、「人は他人の集中している先を見ようとする」これは証明するまでもなく正しいのでは?と個人的に思っているんですが、心理学とか全然勉強できてないので何の裏づけもないため仮説です。つまり、人が空を見ていたら何かあるのではないかと見上げる(意識的短期集中)。就活生を見たらその先に面接官がいるだろうと考える(無意識的短期集中)。一生懸命働くアルバイトを見ると、何か目標があるのかと気になる(意識的長期集中)。ホリエモンのスピーチを聞くと、初めての価値観が見えた気がした(無意識的長期集中)。言いたいことは、スピーチを聞いて感動するという出来事に必要なのは、内容もそうだと思うんですが、話し手が無意識に集中しているものに感化されることなのではないか。そのことのために、無理矢理長期集中というものを仮定しました。

めちゃくちゃ雑ですが、こんな仮説のもと、今演劇の俳優と客の関係性について探りつつ、俳優としてどういう集中力を持つべきかということを考え中です。

そこで、集中力についてのワークをやりたいと考えていますが、素敵なかたちが見つかっていない状況です。

アイデア1 意識の分散体操

アイデア2 集中力の分類、集中した経験

アイデア3 とりあえず集中(視覚、聴覚、味覚、触覚)

〜以上、メモ〜

 相当適当に書きなぐっているけれど、他のメモはもはや何を書いているのかわからないようなものばかりだったので今回やったワークに直接関連したものを載せた。馬淵さんがレポートでやったことを書いてくれていて、メモの中から採用されたのはアイデア3のとりあえず集中。3から始めるのが楽そうとかそれくらいの感覚だったと思う。

 メモを〈Ship〉中に手元に用意したり、共有することも考えてたが、直感的になんか違うと思ったので自分がこういう背景で集中というものに興味があるんだということだけ一度明確にした状態で、あとはその場の出来事に任せようという判断をした。

 だけど…!ここまで初日までの自分の準備を振り返っておいて、「それこそがあなたにとっての演劇なんですか?」と言われると、「え、ちょっと待って」となるから不思議である。

 「ちょっと待って」が永遠に繰り返されて霧の中で迷子になる。「ちょっと待って」といってくる自分に待ってもらって、出来上がったものを人に伝えようとしてみる。僕が滞在開始から公開シェアに至るまでに抱いた感覚はまさにこのような流れだった。滞在メンバーと意見交換とか問いを投げかけあったりする中で、集中ってそもそもなんだっけ!?とブレることすらあった。

 この文章を書きながら〈Ship〉のことをもちろん振り返っているのだけれど、当時のことを振り返って報告をするというよりも、今現在、当時のことを振り返った時に興味が湧いたりすることを優先的に書いておきたいと思う。

《変化するということ》

 「昨日死ぬほどそばを食べたいと思っていた人間が、今日は死ぬほどとんかつを食べたいと思っている」

 突然なんなんだと自分でも書いていて思うが、何が言いたいのかというと、こういう人間は果たして同一の人間なのかという疑問である。答えは簡単で、同じ人間だ。別になぞなぞでもないので当たり前である。誰もこういう人のことを疑問に思わないし、昨日と今日で食べたいものが変わる方が当然と考える人もいるだろう。

 では、その人に対して「あなたが死ぬほど食べたいものとは一体何ですか?」と聞いたとする。その人は、今日はとんかつと答えるけれど、昨日だったらそばと答える。その人は気づく、自分の答えには一貫性がないことに。そして人知れず、自分が本当に死ぬほど食べたいものとは何なのかを自問自答し始める。そばととんかつに共通点が見えないことに怒りすら感じるようになり、しまいには憔悴しきって自宅に引きこもってしまう……この妄想は、「私にとっての演劇」に対しての答えが変化していく自分について、じゃあそもそも変化していくとはどういうことなのかを考えた結果、副作用として出てきた空想である。全くまともな例ではないけれど、無理矢理共通して考えられる要素もあるのではないかというのが今の自分の見解だ。自分の肌感覚で求めていることは変動する要素がかなり大きく、長く寝ていたら体を動かしたくなるし、ずっと動き回っていたら座って休みたくなる。「私が演劇に期待していること」って、実は今現在というその一点にピントを合わせて集中すると、本当にその日、その時、私が求めていることにフォーカスが絞られていくんじゃないか。そんな仮説が立った。

 その瞬間の欲求って「私にとっての演劇」としての一要素として真実だけれど、「ちょっと待って」と言いたくなる理由は、そこにある気がする。というのもこの状況は、これまでの自分とこれから先の自分の期待をなんとなく忘れて考えてしまっている。今自分が期待することも包み込んで、これから先の自分も期待すること。それもまた、考え始めると難しいのだけれど。(だから公開シェアまでの道のりは難解だった。)

 焦点の定まらなさが、「今日初めて出会う人たちとどう〈私にとっての演劇〉を共有しうるか」というところの難しさを自分の中で加速させていたような気がする。

 このような心理状態の中、どう飛び込んだらいいか予測できないことへの不安が6日目から7日目にかけて常に意識をヒリヒリさせていた感情だった。

《悩むことが演劇》

 一ヶ月経過しても新鮮な記憶としてすぐに思い出せることが何個かあるけれど、その一つがキサラさんの「私にとっての演劇」タイムでシェアされた時間である。

 キサラさんが紹介する自分の演劇史は過去の自分との対話という形式によってある種演劇のように展開され、そのフェーズから離陸していくように現在のキサラさんの時間が僕たちの目の前に現れた。迷ったり、悩んだり、言葉を見つけようとしては離れていく、そんな時間を一緒に共有させてもらって、ただ座って見ていただけだけれどとても体験的な時間だった。

 強く記憶に残っているのが途中で出てきた「悩むことが演劇なのかなぁ」という言葉。これは印象的だった。そしてその瞬間について今もう一度考えてみると個人的に少し面白いことがわかった。それは、「悩むこと」というのは、キサラさんが「演劇に期待していること」と必ずしもイコールで結ぶことはできないのではないかということである。つまり、この場合「私にとっての演劇」は「私が演劇に期待していること」へ言い換えられず(全く不可能ではないけど…)、別の何かとして問われている可能性が大きい。そしてそれを僕は、あくまで予想でしかないけれど「演劇と共にいるときの私」という言い換えとして考えてみた。「演劇と共にいるときのあなたはどうなりますか?」という新たな問い。「私にとっての演劇」は、演劇と向かい合ったときの私の反応から見えてくる。そう考えてみたら、確かにそうなのかもしれない。うずうずするとか、テンションが高くなるとか、苦しくなる、楽しくなる、逃げたくなる、闘志が湧き上がってくる、誰かを思い出す、などなど。その観点から「私にとっての演劇」を自分に問い直してみると、「期待していること」とは違う答えになる。これは〈Ship〉中になぜか気づかなかった面白い発見だった。思い返せば、それぞれが違う問いの形を持って、「私にとっての演劇」に臨んでいたのかもしれない。

《それは真実なのか?》

〈Ship〉中に最も動揺した時間を思い出している。それは立本さんの時間に行われた、各々の真実をその場で掴み取って存在してみるという試み。

 自分はどう飛び込んでみようか何も考えずにやってみた。始めたときはBGMもなく、静か。みんなのじんわりとした目線の中、雑念もなく、自分なりに心を動かしてみる。その最中、自分に対して「今やっていることは真実だと思う?」という立本さんからの質問が飛んでくる。はっとする瞬間と、即座に訪れる動揺と汗。多分雑念もなく、とか心のどこかで考えていた時点で雑念があったんだろう。と、自分なりの真実というものの掴みづらさを痛感した。

 このポイントが、今思い返すと一週間の滞在の中で大きな転換点というか、最終日への方向性を決めた出来事だった。とにかく、頭で考えていることの信用のならなさというか、頭で考えているつもりもないのに意識までのぼってくる思考の癖の鬱陶しさとか、そういうものを排除した時間を用意したいという欲求が急激に増したんだと思う。それを極端にやってみることが起点になったのが中間シェアの形式だったのではないかと、振り返っている。(当時は中間シェアの形式についてもそんなシンプルな出発点で考えてはおらず、初日にやったことからの流れとかを考えていた…!)

 レポートということなので、中間シェアの形式に至った背景を後で自分がこれを読み返した時のためにも書いておく。

初日に考えていた集中

とにかく意識してみる→意識したことを外在化→意識の中で生活してみる

このことを踏まえて滞在メンバーと話している中で、自分にとって意識とか集中とかがどんな風に捉えられているのかを改めて考える機会があった。

特に、依田さんと二人で対話している時に、「感覚を集中させる時、私だったらシャットアウトする方法を最初に思い浮かべてたかも」という話が出てきて、普通に確かにそれいいな!と思った。ただ、みんなから視覚を奪うとか、そういうのは初日にやったことの上塗りかなぁと思ったり、悩んだ結果、とりあえず自分が見えなくなってみよう、視覚を封じた状態の自分の意識がどうなるのか試してみよう(※もっと自分の仮説を検証するためにやるなら、その時自分がどう見えるのかを試すべきだったかも。)と思い立ったのが中間シェアの形式。

 どう飛び込んだらいいか予測できない不安を持ち込むこと。頭で支配できないことを持ち込むこと。これは、今考えるとやろうとしていたなぁと振り返れるが、当時はそういうことを言葉として意識していなかったし、私にとっての演劇という感覚として認識ができていなかった。どちらかというと言葉にしていたのはそれと正反対のことで、それは滞在にやってくる前から考えていたことをいい意味でも悪い意味でも引きずっていたんだと思う。

 結果として、実際にイメージとか意識とか、自分が興味を持っていることについて、いろんな切り口からたっぷりと考えたり試すことができて、その点に関してはとてもありがたい時間となった。そして、その試みをする上で自分が予測しきれないものを持ち込むことを最終的には重要視していたことが、「私にとっての演劇」として欠かせない要素になってくる気がしている。

《公開シェア》

 最後に、散々難解と言い続けた公開シェアのことを自分なりに振り返っておきたいと思う。

 一番体感的に記憶に残っているのは、スタジオに一人で居続けて部屋を暗くしたり絵を描いてみたり、一人旅ごっこをしたりしていた時間だ。何回も一人旅を繰り返したり、紙をばらまいたり、「クリス」(※今回のバディ的な存在)に話しかけたり、「クリス」を量産したりしていた。この時間にどうやって人に付き合ってもらうか、あるいは、目撃してもらうか。シェア直前の最後の2時間くらいはほとんどそのことを考えていたと思う。

 最終的に行き着いたのは、意識やイメージにフォーカスを当てていることだけを担保して、とにかく探検をしてみようということ。ここにも自分の中での予測不可能性は挟まれていたと思う。

 あの架空の街空間を作ることに協力いただいたことに感謝したい。実際、全くの想定外に、僕自身はあの時間にかなり印象的な光景と、そこから不思議なイメージをいただいた。それは、みんなで「街歩き」をしている最中、僕が目をつぶり思い浮かんだことをプツプツ喋ることがあったのだが、ふと目を開けるとみんなが足を止めてこちらを見ている。目を閉じる前はみんなで歩き回っていたのに、そういう変化が起きている。その一瞬で起きた空間の変化に嬉しくなってしまって、正直客と演者が逆転しているような錯覚すら覚えた。

 ここまで触れてこなかった「クリス」についてコメントをして終わりに向かいたいと思う。

 今回の滞在では、自分にもう一つ課していたタスクがあって、それはなるべく人にしゃべりにくいと思っていることをしゃべっておくということ。それはなんとなくデトックス的なものでもあり、自分と演劇にまつわるいろんなことで、知らないうちに自分の中だけに閉じ込めてるものもあるんじゃないかなという感覚があったから、清算できるものはやってしまいたいというわがまま精神が働いていた。だから積極的に喋りたいと思っていないようなことをわざと喋らなければいけないような立ち位置に自分を置いて、その際に自分の意識がどう揺れるのかというところまで知覚できたらいいなという目論見が密かにあった。おそらくそのことのストレスの外在化として置かれたのがクリスだったのではないかと思う。(これは正しいとは限らない。)慣れないことをしようとするとそちらに集中力を持って行かれるというのは多分その通りで、そういう意味ではやろうと思っていたことを率先してクリスが引き受けていたとも言える。

《付箋を貼ること》

 座っている私の目の前に、くるくる回っているスロットがある。手元にはそのスロットを止めるためのボタンがある。意識的に私はそのボタンを押してみる。目の前には動きを止めたスロットがあって、なんだかぼやぼやとした絵柄が見える。私は手探りにそいつの名前を考えて、変とか面白いとか感想をメモする。隣にも席があって同じようにスロットと向き合っている人がいる。たまに絵柄を見せてくれたりする。そうこうしているとスロットが再び回り出しそうな気配を見せるので、私は思い出したように付箋に走り書きをして絵柄の上に貼っておく。それから私はその席を立って、うろうろして、忘れた頃に戻ってくる。スロットはまたくるくると回っていて、私は席に座る。

 僕が〈Ship〉という場に対して、今回抱いたイメージだ。自分の中のモヤモヤとした感覚に言葉を与えていく。その言葉は本質ではないかもしれないけれど、モヤモヤのシルエットを知る手助けになる。そして付箋を貼るということ。これはシェアという段階がなければなかなかやれないことだ。自分が持っていたモヤモヤに一度形を与えてみるということ。こと演劇というものに関しては人に見てもらわないと成立しえない部分があるので、そういう意味で貴重な時間を頂いたと改めて思う。

 「私にとっての演劇」に付箋を貼っていく試み、自分に対しても誰かに対しても、モヤモヤを見える形にしてみる試み。このテーマをどう問うていくかの形を多様にしていくことが今の自分には有効な気がしている。

 それと、どう飛び込んだらいいか予測できない不安。この感覚が自分にとっての演劇にどう位置付けられるのか。そのことを小さな出発点として再び試し続けていきたいと思う。


【牧 凌平 Ryouhei Maki】

1991年12月14日生まれ。群馬県出身。2015年、慶應義塾大学薬学部卒業。大学時代から演劇を始め、作演や俳優として作品作りに取り組む。2013年、大学同期を中心に「かけっこ角砂糖δ」を旗揚げし、企画公演を行っている。演技、演出についての視野を広げるべく、座・高円寺劇場創造アカデミーに入所し、2017年に修了。現在、俳優として活動しながら劇作、演出も行なっている。近年の出演団体は、重力/Note、ゲッコーパレード、演劇ユニットnoyRなど。嗜む武道は空手道。高所恐怖症。

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