キサラカツユキ・担当回

「当時の私」に話しかけるキサラ

「当時の私」に話しかけるキサラ

「私にとっての演劇」が、なんであるかを考える。それを誰かに伝えようとする。それが明示的にか、体験的にか、その方法自体も、パフォーマティヴに「私にとっての演劇」を指し示すだろう。

「3歳の頃の私」と戯れるキサラ。当時、時代劇が好きだったそう

「3歳の頃の私」と戯れるキサラ。当時、時代劇が好きだったそう

キサラの場合、向かい合うように置かれた二脚の椅子の片側に座ると、もう片方の椅子に過去の自分を「呼び出し」て、対話をする。セッションのようなかたちで、過去の自分に、演劇にまつわる問いを投げ、当時の距離感を引き出す。その後、そのセッションの解説を、他の参加者へおこなう。セッションと解説とをセットにして、3歳から大学生、演劇をやめていた時期、東京から仙台へ帰ってふたたび演劇を始めたころと、現在に漸近してくる。

「この頃は…」みたいに、当時の話をしてるキサラ

「この頃は…」みたいに、当時の話をしてるキサラ

「当時の私」を代弁するのではなく、「当時の私」と演劇との距離を、現在から推し量るようなセッションは、その後の解説を聞く他の参加者たちと、現在のキサラ自身を等価な距離に置かせる。「当時の私」には、いま・ここのキサラ自身にも、他者としてあらわれる余地が保持されている。その折々で、当然変わる状況や、視点を無視しないで、「私にとっての演劇」が、変わり続けていること。そこに生まれるだろう迷いとどう付き合うのか。

手前から、小林玉季、牧凌平、依田玲奈。観てる

手前から、小林玉季、牧凌平、依田玲奈。観てる

後半は、そこに焦点化された参加者も交えたディスカッションとなった。キサラからの問いかけは、「演劇をやめたいと思ったことはあるか?」「演劇に依存していると思ったことはあるか?」など、続けることそれ自体に関わる問いだといえる。キサラの場合、ここに人間関係と演劇(「芝居」)を続けることが密接に関わっている。「人間関係」が「演劇を続ける」ことのモチベーションになっている(ともいえる)。

椅子を使わなくなるひとたち

椅子を使わなくなるひとたち

(相談のように)迷いを悩みとして、解消したいという趣旨のずれは多少あったものの(ここにも上記のモチベーションとのつながりを感じる)、迷いとの付き合い方そのものを演劇(に含める)とするような仮説が得られていたこと(キサラ「悩むのが、演劇なのかなあ」)は、特筆できると思う。

「悩む」という局面々々における逡巡を問題化することで、演劇と生活の切り結び方を考える。それが、俳優(をする?)とはどう関わるのだろうか?

キサラのふりかえりメモ

キサラのふりかえりメモ

記録チーム 飛田ニケ


【キサラ カツユキ Katsuyuki Kisara】

1982年8月6日生まれ。宮城県出身。中央大学法学部法律学科卒。大学進学を機に上京。学内のサークルにて演劇活動を始める。OBが結成した劇団に所属し2009年まで断続的に活動。その後、長期間演劇から離れる事になる。2014年に帰仙。2016年、演劇企画集団LondonPANDA主催のワークショップ「舞台の入口」に参加。2017年に同劇団の舞台『生きてるくせに』にて活動再開。LondonPANDA劇団員を経て、現在はフリー。主な出演作:LondonPANDA『本性』『ほつれる、闇』、劇団 短距離男道ミサイル『ハイパー★ファンタスティック★ナイト オン★ザ★ギャラクティック★レールロード』。