中間シェアは、滞在6日目にクローズドで行われた。参加俳優は、場所を選び、それぞれ発表した。最終日の公開シェアでは、事前に告知がなされ、集まったひとに開かれた場で、参加俳優による発表がなされた。全員の発表ののち、記録チームの馬淵を司会に40分程度のトークも行われた。
キサラが「〈Ship〉Ⅲ」で発表したことは、初日に行われた担当回も含めて、一貫している。テーマやコンセプトがあって、発表の形式が探られるというより、やってみて、迷いなく動く(動ける)身体の問題として、そのモチベーションとの関係に焦点があったといえる。言葉にする(できる)こととはべつに、現に動ける身体が素朴にある。
キサラにとって、「私にとっての演劇」は、「悩む」ことにあった*1。「迷いなく動く」ことと「悩む」ことが、演劇において矛盾せず(矛盾してても?)ともにある。そのような区別(あるいは使い分け)がなされていることを、(良し悪しとはべつに)ふまえたい。
中間シェアと公開シェアの双方に、担当回で用いられた形式が踏襲されていた。中間シェアは、公開シェアにむけて探られていた(と思う)。効果のちがいは、モノの使い方に端的にあらわれていたといえる。それについて書く。中間シェアは、スタジオで行われた。鏡張りの面に背を向けるように舞台面が設定された。空間には、劇場備え付けの椅子が複数、ランダムに配置された。加えて、いくつかのボールが椅子の座面に置かれた。椅子のうちのひとつは、空間の前方(つまり観客のいるほう)に向けられ、中央手前にすえられた。これにキサラが呼びかける。ボールを手にし、それを差し出すような身振りを伴ったり、あたりの椅子を揺すったり、声を出したり、「呼びかけ」への応答を求めて、行為の強度が次第に高められていく。モノがなんのために使われたのかについては、疑問が残るし、フィードバックでも指摘されたことではあった。結果的には公開シェアでは、必要が絞られることになった。
場所は劇場が選ばれ、背もたれのない丸椅子が一脚用いられた。照明は暗めに、椅子を中心にして照らすように用いられた。公開シェアでなされたことは、中間シェアとそう変わらない。そこから、可能な限り観客にひらくことが狙われていた。向きを指示しない丸椅子が中心をずらして配置されていることに目を向けたい。
中間シェアに対して「呼びかけ」の対象の抽象度が高められている。見ることに、強度が求められている。キサラが椅子へ呼びかける強度と、観客が見るための強度が、互いに意識されるよう整えられている。起こることに強度が必要とされていて、身体への負荷としてともにあらわれる。
このような必要はもちろん、「呼びかけ」の対象にかけられている。結果的には、「呼びかけ」に無対象の「だれか」が応じて、終えられる。図式的に、応えがあったことへの喜びが示される。「迷いなく動」けているので、このように終えれるともとれるが、とってつけたような終わり方は、ひらかれて、互いに経験されたことを方向付け、示す。必要とされた強度は、「悩む」ことを体験的に示すが、終わり方で茶化され、それは説明される。問題は、「迷いなく動」けてしまう身体と「悩む」意識主体の二元論ではない。それらを包括しうるモチベーションがどこにあるか。「呼びかけ」に応えさせる。そのようなシンプルな物語からでも問える。この実践があって、応えるのはだれかということと、なぜ呼びかけるのかということを、ここで、ふたたび問うてもよいだろう。
*1 キサラカツユキ担当回
記録チーム 飛田ニケ
【キサラ カツユキ Katsuyuki Kisara】
1982年8月6日生まれ。宮城県出身。中央大学法学部法律学科卒。大学進学を機に上京。学内のサークルにて演劇活動を始める。OBが結成した劇団に所属し2009年まで断続的に活動。その後、長期間演劇から離れる事になる。2014年に帰仙。2016年、演劇企画集団LondonPANDA主催のワークショップ「舞台の入口」に参加。2017年に同劇団の舞台『生きてるくせに』にて活動再開。LondonPANDA劇団員を経て、現在はフリー。主な出演作:LondonPANDA『本性』『ほつれる、闇』、劇団 短距離男道ミサイル『ハイパー★ファンタスティック★ナイト オン★ザ★ギャラクティック★レールロード』。