寺越隆喜の言葉

何から書きはじめようかまよいながら、おもいだしながら書きなぐってます。

″私にとっての演劇″

というテーマのもと7日間若葉町ウォーフで滞在して、ひたすら自己をみつめ合う貴重な時間でした。

参加者5人、記録係2人、主宰者1人という人数で滞在していたけど、みんなで一つの作品をつくるというわけではないので、特に交わるでもなく不思議な距離間が最後まで続きました。 主宰者が始めに

″孤独を大切にしてほしい″

″人と違うことが当たり前″

みたいなことをいっていたため自分としては今回はそういう距離間をとってみようと意識していたのかもしれません。

大まかな流れとしては

①滞在する事前に

「″私にとっての演劇″というテーマのもと2時間とりあえず何かしてください」

というけっこうデカイ課題があり、まずはそれをそれぞれが発表する

②中間シェア

③公開シェア(お客さんいれて)

ほかにも様々なことをやったけど大きいながれはこんな感じです。

①、②、③に関しては記録係が細かく書いてくれているのでそちらを参考にしていただきたい。

寺越隆喜ワークショップ担当回レポート

寺越隆喜公開シェアレポート

なぜこのようなアプローチを自分がとったのかを書きたいと思います。

公開シェアでのワンシーン。どこを照らしてもいいというルールのもとで使われた照明(懐中電灯)

公開シェアでのワンシーン。どこを照らしてもいいというルールのもとで使われた照明(懐中電灯)

①の課題でまず″私にとっての演劇″というものを考えたときに演劇というのはつまるところ人と人との人生の交差点であり、結局演劇をやる上でその人の生きてきた人生が表出するものだと思った。なので

″私にとっての演劇″→″人生(生き方)″

と位置づけそこから2時間どうアプローチしていくか考えたが、シンプルに自分の人生を2時間語ろうと思った。自分の中では1時間50分くらいで演劇と出会うくらいまでいって、そんでなぜこのアプローチをとったかを残りでざっと話そうとおもったが‥。

予想以上に自分が話してる時に楽しくなってきちゃって高校卒業くらいまでで2時間いってしまった。演劇にもたどり着けず、なぜこのアプローチをとったのかの説明もなかったので見ている人は「だから‥‥?」だったと思う。

収穫としては2時間喋り続けれたことだと思う。あっ意外と2時間ってあっという間だと思った。まぁそれはやってる本人だけで聞いてる側は‥‥。

〈自分の人生についてのみ語り続ける〉というスタンスは、滞在中一貫していた

〈自分の人生についてのみ語り続ける〉というスタンスは、滞在中一貫していた

②上の反省を生かして中間シェアでは、まず始めにこのアプローチをとった理由を話し、次に自分の体験の中で、こういうものこそが今のおれが演劇にしたいことを話した。①の時に喋るのに夢中になって身体と空間の意識を忘れていたので、今回はそこもより強く意識して、そして喋るのもより聞いている人に届くように、アプローチを濃くした。

③公開シェア

7日間様々なことを一緒に体験した人たち以外の人にみせるという、ある意味今回の集大成だったのでより外への意識を強くしようと考えた。

アプローチとしては空間に屋上を選び、物干し竿には自分の今回の着替えをかけたままにして、地面にはゴミをまばらに敷き詰めた。懐中電灯を一つは自分が持ち、もう2つは鶴坂さんとニケくんに協力してもらって、もってもらい″自分のみたいところを照らして下さい″ということをお願いした。それで一つの話題を喋っては着替え、次がおわったらまた着替えというのを繰り返した。時おり下に転がっているゴミを利用しながら喋った。

このアプローチを選んだ理由としては

″私にとっての演劇″→″人生(生き方)″

という自分の考えをみている人に強要したくなかったし、みている人に様々なことを選択する余地を与えたかった。勿論みてくれて共感してくれたら嬉しいが、今回で学んだことの一つに″人と違うのは当たり前″ということ。何を考えてどう行動してくれてもみている人の自由。だから屋上という閉鎖された空間ではなく様々な情報(空、ビルの夜景、下の道路、車の音等々)が得れる場所を選んだ、いっちゃえばおれのことなんか気にせず空ずっとみててもおれはいいとおもった。なぜならそれがその人の人生が表出した行動だから。懐中電灯もそのサポート。別におれを照らしている必要性は全くないと思った。まぁでも二人はけっこう照らしてくれてたけど‥。

みている人それぞれの人生があり、人生というのは行動の積み重ねであるとおもった。そしてそれを選択しているのは他の誰でもなく自分自身。

逆説になっちゃうけどおれにとっては

″人生(生き方)″→″私にとっての演劇″

になる。だから自分のパフォーマンスとしてはここでの生活を下地にした。タバコを吸い、コーヒーを飲み、喋り、物干し竿にかけてある服に着替える。ゴミを置いたのはゴミというのは人生において、きってもきりはなせない。だれもが共感できるものの象徴として利用した。

別に喋る内容なんかなんでもよくて(でも気づいたら人生の転機の話しになってたから不思議だ)、②の反省を踏まえて、みている人に空白の時間を与えたかった。そういう意味で一つの話題終わったら着替えるという時間をもうけた。自分はただ単純にあの空間が楽しかった。

若葉町の夜は繁華街の喧騒に包まれており、寺越の試みに一種のストリート性を添えていた

若葉町の夜は繁華街の喧騒に包まれており、寺越の試みに一種のストリート性を添えていた

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今回7日間滞在して自己とみつめあうという貴重な時間はこのあわただしく生きる日々のなかでとても貴重だった。誰かと共有する必要もなく、修行僧のように滝にうたれる(笑)こういう時間はとろうとおもっても中々とれない。とてもいい時間。5人の滞在者とは仲良くはなってないが、どこか気にせずにはいられない存在になった。この感覚はまだ整理できてはいない。でもそれでいいと思ってる。流れに身を任せて。最後7日間これがおわって思ったのは″人が恋しい″これに尽きる。そりゃそうだ、こんなに自己とみつめあってればそうなるわ。人は一人では生きられないということを痛感して(もしくはおれが寂しがり屋なのか?)このレポートを閉じたいと思います。


【寺越 隆喜 Takaki Terakoshi】

大学を卒業後、一年間フリーで様々な舞台に参加。そしてその後、舞台美術を使わず身体のみで戦国時代から宇宙船内など様々なことを表現して、人間の真理を追求する劇団IQ5000(主宰 腹筋善之介)にて2014年まで7年間在籍。退団後自身のプロデュース企画「アフリカン寺越企画」を立ち上げて公演する。主に舞台中心の活動。近年は海外の演出家との作業とかにも興味があり様々なWSに参加。