弓井茉那・担当回

今朝は、前回もゲストとして参加した弓井茉那(ゆみいまな)の時間が持たれた。弓井が2年前よりはじめた、乳幼児向け演劇(ベイビードラマ)の実践が、現在の彼女の現代演劇的関心としてある。そこに至るまでの学生時代や、関わってきた演劇、そのなかで育まれた問題意識を引き継ぐように開始された乳幼児向け演劇と、その野心の根底にある問いを中心とした彼女の個人史をふりかえりながら、俳優にとっての観客とは、ということを問うような時間となった。

朝なので、頭を起こしがてら、みんなで指の体操

朝なので、頭を起こしがてら、みんなで指の体操

彼女が、演劇に触れはじめたのは、大学がきっかけで、大学でドキュメンタリー映画や演劇を学んだことが、それ以前のナイーヴな時期を、世界にひらくような経験(弓井「大学時代は、海のような時期」)であったという。そこから、大学卒業後、俳優としての活動を本格化し、出演したことが契機になり、大きく演劇観をゆさぶられた経験について話す。

図示された弓井の人生の波をみながら、個人史をきく

図示された弓井の人生の波をみながら、個人史をきく

例に挙げられた演劇作品のひとつめは、クロード・レジ『室内』。2013年に、SPACで、リ・クリエーションされ、日本人をキャストに世界各地で上演された。この作品に、参加した弓井は、「ゆっくり歩くしかしてないが、上演を繰り返すなかで、観客の呼吸や舞台の上にただよう空気感が、微細にわかるようになった」ことが、おおきな発見だという。「舞台と客席の、あわいに起きる出来事を待つ」ということを、俳優の本質として触知した経験としてこの上演があるようだ。

つぎに紹介されたのが、フェスティバル/トーキョー14で上演された、ソ・ヒョンソク『From the Sea』。サイトスペシフィックなツアー型の上演で、俳優と観客が、二人一組になって、ゴーグルをかけた観客を俳優がナビゲートしていく、という形式の作品だ。この作品で、弓井が発見した俳優のあり方を、彼女は「媒介者としての俳優」と呼ぶ。ここでは、俳優と観客の比重は逆転している。むしろ「観客が主役」であるようなありかたで、俳優は観客の知覚に介入し、導きながら、それを「媒介」する。

弱めのWifiで、公演の写真をみながら

弱めのWifiで、公演の写真をみながら

これらの経験から、現代演劇での俳優のあり方がアップデートされた結果、弓井がそこに至った、あるいは、いまいる場所が、乳幼児演劇である。乳幼児という対象の知覚を──かれらを無能として扱わず、ひとつの、あるいはべつべつの主体として尊重するように──媒介するものとして俳優は行為し、そこでの相互の感応が、(それがありうる!という驚きとともに)産みだす空間と、その淡いにある出来事を、演劇の可能性として提示する。そのような、間違いなく現代演劇という射程のなかで行われる上演として、彼女の主催するBEBERICAで作られた最新作『What’s Heaven Like?』(2018)の映像を観た。その生を全面的に肯定する思想によって、俳優と観客(ここでは乳幼児)の関係性が築かれて在ることに、参加俳優もある種の感動をもってみているようだった。

『What’s Heaven Like?』の映像に、妊娠中の内山は感動していた

『What’s Heaven Like?』の映像に、妊娠中の内山は感動していた

1時間程度、弓井のここに至るまでの変遷を聞いた後、実際に彼女の創作で必要とされる「他者の知覚の仕方を想像し、それを演じる」ということを、ワークを通して行った。形式としては、二人一組になって、一方が、あかちゃんの知覚を想像しながら、それを演じる。他方は、その様子を観察し、そこにある(だろう)知覚や集中を、トレースするというもの。感覚(というおたがいにあるとできること)を通じて、自分ではないものを想像する。その想像される他者は、ふたつの立ち位置の間で微妙に異なる。あかちゃんを演じるということは、じぶんがそうだろうと思うそれ(これがあかちゃんである)を信じるという意味で、そこにいない他者への想像力であり、目の前にいる他者の観察とそのトレースでは、そこにあるはずなのに、けっして共有されえないという意味での他者への想像力(そう見えるから、こうだろうとしかいえない)である。このワークでは、乳幼児という対象を、観客としてどう規定するのかという思考によって、だれかにたいしての表現でありうる演劇を、明確にだれかと生み出すというあり方で提示するし、あかちゃんを演じる俳優を観察するという立ち位置は、俳優をみる観客の想像力のありかたを考える手立てとなるだろう。

内山と寺越ペア。観察が、見えてなくてもできるのか?と、寺越

内山と寺越ペア。観察が、見えてなくてもできるのか?と、寺越

そのあとで、彼女がこれらの作業を通じて、俳優らに問おうとしていたであろう「自分の演劇に対象はあるか?」、「どうやってその対象とコンタクトできるか?」ということを、参加者全員でじぶんの場合として考え、発表していった。そこで共有されたことをいくつか紹介すれば、不特定多数にひらかれてあることが、そもそもの演劇の良さだととらえている俳優がいたり、「じぶんが広げた敷物のうえにいるひとたちにむけて」、あるいは、観客を規定することは排除につながるという懸念からむしろ「自分にむけて」作品をつくっているという俳優など、この問いが、想定していた範疇から、よりひろい範囲での解答が多かったといえるだろう。

かわいいスケッチブックとクレヨン、色鉛筆が、微笑ましい

かわいいスケッチブックとクレヨン、色鉛筆が、微笑ましい

さいごに簡単に、その様子を観察していたぼくの感想を述べたい。弓井の時間は、より豊かに、俳優のことばが生み出される時間であったように思う。弓井が、適切な距離をキープしてるから、俳優のことばが、生み出されやすい環境になっていたのだと思うが、それは彼女の演劇観が確立されているからこそ、俳優間の差異が、際立つような時間であった。彼女の自立的な演劇観との距離を測るようにして、「じぶんにとっての演劇」をすこし固めるような時間が、滞在5日目に持たれたことは、比較的、ゆるやかな、独り考えるようにして過ごされている終盤の時間にとって貴重だったと、ひとまずは言えるだろう(飛田)

弓井「将来的な出産の機会や乳幼児研究と演劇はそれぞれ別の視点で考えたい」

弓井「将来的な出産の機会や乳幼児研究と演劇はそれぞれ別の視点で考えたい」


【弓井茉那 Mana Yumii】

俳優/演劇教育者。京都市生まれ。京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科、座・高円寺劇場創造アカデミーにて舞台芸術を学ぶ。現在は京都を拠点に、俳優の活動、また子ども対象のドラマワークショップの企画・進行を行っている。また、乳幼児を観劇対象とするベイビードラマのシアターカンパニーBEBERICA主宰、演出。

2017年デュッセルドルフの劇場・Düsseldorfer Schauspielhaus児童・青少年劇場で演劇教育を担当する。同年南アフリカで行われたASSITEJ 世界会議にて、次世代の児童演劇担い手のプラットフォーム『Next Generation』メンバーに選出され参加。「マレビトの会」プロジェクトメンバー。主な出演作:クロード・レジ演出『室内』(静岡舞台芸術センター制作)、日伊共同制作『オオカミとヤギ』(りっかりっか*フェスタ制作)など。

http://yumiimana.com/