「私にとっての演劇とは」
この問いは、演劇を続けてくるにあたって、案外きっちりと向き合った事のない問いの様に思う。自分にとっての演劇とは、どうしても自らの人間性や特性と切っても切り離せない物であり、その為か、この問いと向き合う事はアンタッチャブルな出来事のように感じていた。
「〈Ship〉Ⅱ」への参加が決定し、準備段階として「私にとっての演劇とは」の問いを考える日々が続いた。正直、この時間が自分にとってはかなり辛かった。毎日毎日自分と向き合い、体調を崩しながらも導きだした答えは、自分にとっては衝撃的で辛い事実であった。今まで、誰かの為、何かの為、そう信じて演劇をしてきたと思っていたのだが、改めて自らを振り返ると、結局の所自分の為でしかなかったのではないか?「私にとっての演劇とは、自分を肯定してくれる場所」準備段階でのこの答えが本当に嫌だった。自分のエゴの為に舞台に立つ事の何が悪いのかと問う人もいる。けれど自分はその事を、恥ずかしいことの様に感じていた節があった。それの何がいけない訳でもないのだが、自分の行き着いた答えを受け入れられず落ち込んだ。事実なのだから仕方がないと思う反面、どこかしっくりこない所もありモヤモヤした気持ちを拭えないままWHARFに向かうこととなる。
WHARFでの時間は思っていたよりも快適で、共同生活のようでありながら個が確立されいたように思う。初日の冒頭で「孤独を守る勇気を持つ」という言葉が出た。その言葉が滲み出ているかのような時間がWHARFでは流れていた。
初日、2日目と参加者のワークショップが続く。そこで思いがけず、自分の小さな変化に気付くことになった。
当初の自分は、他者の本質に興味がないものだと思っていた。いやむしろ、臆病が故に興味がないものだと思い込んでいた。だが、「演劇」という共通言語のもと各々が準備したものを披露していく。それが思いがけず私の興味をさらっていった。他者に興味を持つことで、逆に自らに介入されることを恐れていたのだが、そういう乱暴な事は存在しなかった。自分にないものを受け入れて咀嚼する時間は、有り体な言葉にはなるが「楽しい時間」であった。
またそれと同時に、自分自身が他の参加者に受け入れられていると感じる安心感を持つようにもなっていった。私が用意して行ったワークショップは、今から思い返してもお粗末なものであったが、周囲は否定することもなくただ受け入れてくれていた。
そこで私は1つの問いを持つことになる。それが〈受け入れることとは何なのか?〉である。
話は前後するが、ここで2日目に自分が担当したワークショップに言及しておこうと思う。詳しくは記録係の2人がレポートしている通りではあるのだが、私は模造紙にそれぞれの頭の先から爪先までの絵を描いてもらい、その周囲に文字で要素を書き込んでいってもらった。要素という言葉を使用しているが、実際はそこまで固くなくてもよく、例えるならば「『右手』→『利き手』→『元は左利き』→『両利き』→『かっこよくない?笑』」であったり、思い付くままを言葉にして模造紙を埋めてもらう。無心で書くことにより、普段では思ってもみないことが言葉として転がり出てくる。それをどんどん紡いでいくことにより、実は自分自身から1番遠い所にある言葉が、自分の本質を示す言葉として記されていたりする。上記の例で説明するならば、「『自分』→『かっこよくない?笑』」が本質である可能性が秘められている訳である。(少々乱暴な例えではあるのだが…)
まさにこの作業こそ、私が準備段階で行ったことに類似している。「私にとっての演劇とは」の問いから「自分自身がなぜ演劇をしているのか」という大元の問いへと立ち返り、自分自身の要素を洗い出していく。沢山の言葉の中から、より本質に近いものを探しだそうとしたのだ。それを共有する為に、私はこのワークショップを行ったのである。
WHARF のある若葉町は伊勢佐木町に隣接している。そこでは、たくさんのアジア系の外国人が日本人に混ざって生活をしていた。タイ料理、インド料理、中華料理、韓国料理…多国籍な料理店が並び、様々な言語が飛び交う。またその近くには歓楽街が広がっており、夕方になると賑わい始める。あの町では多種多様な人間の、確かな息づきを感じる事が出来た。誰も自分の隣にいる者を排除しようとしない、それが自らの母国語が通じない自分とは異なる存在であっても、それを受け入れて共存している。そんな日常が当たり前のように続いているのだと感じた。
当時のメモには町の印象がこう記されている。「他者・異が寄り添っている、受け入れている」「肌感覚的に受け入れている」「排他的ではない」「優しくて明るい」
そんな〈異〉のごった煮感が妙に心地よく、私はそんな町の片隅で自らの問いを深めていった。
そんな町中で滞在3日目に、初日と2日目に行われた各々のワークショップについて、他の参加者とマンツーマンで問いを渡しあった。
私は〈受け入れること〉がやはり気になり、他の4人に問うた。それに伴って様々な話が出来たように思う。それぞれから受け取った問いや答えは、少なからず自分に影響を与えていった。
私は元々かなりのネガティブ思考で、自らのワークショップでその事を公表してみた。それに対しての問いももちろんあったが、答えていく自分の中でネガティブな己の特性が整理されていったようだった。そういったやり取りの中で受け取った言葉は、否定的なものはほとんどなく、問われてる側がむしろ救われるような気持ちとなった。それはおそらく、メンバーそれぞれが受け入れる体勢で向き合ってくれていたからであろう。また、自分自身も4人のメンバーそれぞれに興味を持ち、問いを持ち、話を聞き、受け入れていきたいと思っていた。自身の中にはない考え方や捉え方を取り込みたいと思っていた。そういった気持ちで挑んだ1日は、とても情報量の多い1日となった。
この日の終わりにふと自分の中に湧いてきた疑問は、「どうして他者を受け入れたいと思うのに、同じ熱量を自分に向けて自身を受け入れる努力をしないのだろう。」というものだった。〈受け入れるということ〉は、自分にとっても、自身の演劇にとっても重要な意味を秘めているらしい。そう思いながら、二段ベッドの上で眠りについたのを今でも覚えている。
滞在4日目、5日目のワークショップを通し、上記の問い以外〈文字化された言葉〉と〈自分が無意識に排除しているもの〉というキーワードが浮上した。
俳優である以上〈言葉〉とは常に密接な関係を持つ。ただ今までは、与えられた物でありその意味を考えてきた。それの連なりが台詞となり、発語に至る。では一体自分が台詞として発語してきた、〈文字化された言葉〉とは一体何者なのだろうか。
この問いに関して、私は1つの仮説をもった。それは、〈文字化された言葉〉とは記した誰かが伝えたい事の通過点であるということ。それが発語であったり黙読であったり何かしらの手段で他者に受け入れられた時、初めて伝わるのではないか。この仮説の中では、俳優はスピーカーに徹することとなる。記した者が伝えたい言葉の、ただの中継地点になる訳である。目の前にある〈文字化された言葉〉を受け入れ、第三者に伝達する。そうすることで、共有されていくのではないだろうか。この仮説の中でも〈受け入れるということ〉は重要な位置付けにいた。
次に、〈自分が無意識に排除しているもの〉との関わり方についてだが、これについて考え始めた当初はかなりドライであった。「〈自分が無意識に排除しているもの〉をなくして万人受けを考えるのは欺瞞である。」だが結果、この答えは自分の中で逆説的に導きだされた答えだった。この段階ではまだそれには気付いていない。
では実際、〈自分が無意識に排除しているもの〉は何なのだろうか。そう考えた時に思い当たったものは、〈自分の理解が及ばないもの〉であった。そう思うと、排除している理由はとても身勝手なものだ。確かに理解が及ばないことは怖いことかも知れないが、だからと言ってそれを排除して無いものとするのは、余りに寂しい方法である。〈自分が無意識に排除しているもの〉をなくすには、〈自分の理解が及ばないもの〉を受け入れて理解する勇気を持つ必要があるのだと結論付いた。
そして最後に、〈受け入れること〉とは何なのか。この流れを踏まえて再度考えてみることとなる。〈受け入れること〉とは、それはきっと〈他との境界線が曖昧になること〉なのではないか。そう思うようになった。境界線が曖昧になるということは、向き合っているものと一体になろうとするから起こることだと思う。もしかすると演劇においては、演出家の意見を受け入れることで演出家の思考との境界線が曖昧になったり、戯曲を受け入れることで書かれた文字との境界線が曖昧になったりするのではないか。
これを体感的に感じる為にも、そして表現し共有する為にも、先に出した2つのキーワードから派生した問いを活用し、公開シェアに向けて作っていくことなった。
6日目の午前中、中間発表が行われた。
私は先の項で述べた2つのキーワードを活用した上で、〈受け入れること〉と向き合うべく1つの方法を試してみた。〈文字化された言葉〉を受け入れて発信してみようと思ったのである。その中にはもちろん〈自分が無意識に排除しているもの〉も含まれていないといけない。〈自分の理解の及ばないもの〉として、外国語を選択した。発信するツールは声にした。WHARFの共有スペースにある本をお借りし、無作為に選んだ本のおもむろに開いたページを読み上げる、という形で提示してみたのである。
結果は果てしなく朗読のようなものになってしまった。またその他にも鹿島さんからは、「色々と散らかり過ぎている」「ラベリングを行わなかった為にどう観てよいか分からない」「聞くのか観るのか」など、様々な感想を頂いた。自分としては悔しい気持ちが大きく、どうしたものかと頭を抱えてしまった。
その日の午後。
メンバーの1人である寺越さんと、質問があるとのことで落ち合うことになった。6日間で随分と慣れてきた伊勢佐木町の雰囲気を肌に感じながら2人で話した事は、〈自分が無意識に排除しているもの〉について。私が中間発表を終えて、やったことの意図を説明している際にこの言葉を聞いて引っ掛かっていたのだそうだ。私は〈自分が無意識に排除しているもの〉をなくして万人受けを考えるのは欺瞞なのでは?という話をしてみた。すると、寺越さんは少し考えた後、こう言った。
「そう思うってことは、逆にそうなったらいいなって思ってるんじゃないの?」
そう言われた時、心の底から素直に「あぁ、本当にその通りだな。」と思った。演劇が自分を肯定してくれる場所だと思ったのも、演劇に対して言葉に表せない期待を抱いていたのも全て、「演劇は、互いが互いを受け入れ合って、皆にとって優しい世界を作り出せる方法であって欲しい」と願っていたからだ。寺越さんの一言によって、気付いていなかった自分の願いが、目の前に景色の様に広がって見えた瞬間だった。
その上、自分がそう願い、そうなり得ると思っているのは、人前で表現するにあたって、境界線が曖昧になるような<受け入れること>が発生するからなのだろう。戯曲、言葉、演出、共演者、自身の体や感情、環境、観客…様々なものを受け入れることによって舞台は始まる。もはや排他的であったり、拒絶していては何も始まらないのではないかとすら感じる。受け入れた先でどう感じようと、これは他を排除しない優しい世界なのではないだろうか。
話は逸れるが、寺越さんとは滞在期間中、本当によく話をした。互いのエピソードや、伊勢佐木町に来て出会った人々、おすすめの本やマンガやゲーム…大半がそんな話。その日その日の感想や、互いへの質問を語らうこともあったが、ありがたいことに語らったことが悪く影響を及ぼすことはまるでなかった。
彼にとっての演劇とは恐らく人生なのだろうと、最初のワークショップの段階で察していた。そんな寺越さんが語るエピソードや問いには、いつも自分だけでは思い至らないエッセンスがある。己1人ではそれに触れることはなかっただろう。上記のやり取りはそんな中のほんの一部分だ。
話を本題に戻す。こうして、散らかっていたことが1つの線で繋がりつつあった。自分の中の問いを深め答えを探す内、どうやら自分自身も他を受け入れるようになった上、自分の事も否定的に考えず受け入れられるようになってきていたらしい。たった6日という時間の中での変化に驚く。それほど情報量が多い密な時間を過ごしていた。
やはり公開シェアでは、中間発表で行ったような形式で発表を行いたい。そう結論付いたのであれば、後はより練り上げていくのみである。寺越さんとのやり取りで背中を押された気がした。
当日のお昼にも、再び参加メンバーに発表を観てもらった。そこでのアドバイスに、メンバーの愛を感じた。全員が〈集団の中の個〉であり〈孤独を守っている〉にも関わらず、しっかり繋がりが生まれているのが心地よくて嬉しかった。
また鹿島さんと話して得た「役の履歴書に縛られやすい所から脱却するためには」というキーワードも追加された。私は、役を演じる上で論理や理論に傾倒しやすい。上手くいかなくなると、より顕著にその癖が強く出る。それと立ち向かうなんらかの手段を、公開シェアに入れ込もうと考えた。
その上で1つの形となったのが、公開シェアで行ったものだ。ここではあえて詳しく言及はしないでおこうと思う。ただ、あの形になった背景には、今まで述べてきた道筋があった。そうしてそれを観た観客たちが様々な事を感じてくれれば、私はそれで良い。記録係が記してくれたレポートが余りに的を射ていたので、良ければそれも読んでいただければと思う。
やったことに後悔はない。むしろ、自分がどういう事を考え、どういう事を疑問に感じるのか、それを深く掘り下げるには有意義な時間であった。なかなか日常ではここまで突き詰めた時間を持つことは出来ない。様々な制約がそこにかかってくるからだ。確かに有意義である反面、閉鎖的にも思える環境や時間に苦しさを覚えたのも事実である。だが、その先に通過点ではあるにしても現段階での答えが導き出せた事は自信に繋がる気がした。
「〈Ship〉Ⅱ」が、今後の自分の演劇人生にどう影響を及ぼすかはまだ分からない。表層的な変化として現れるのか、はたまた内的な変化として現れるのか。ただ、今の段階で日常生活においての変化として2つ言えることがある。1つ目は、少しわがままになったことだ。受け入れて咀嚼して、自分が嫌なら嫌だと言ってもいいのだなと思うようになった。自分の本心を受け入れてあげられるのは自分しかいない。それならもっと正直にいようと思った。2つ目は、ネガティブな自分だっていいじゃないかと、そんな自分を受け入れて開き直り始めたことだ。こういった変化も含め、どう演劇に影響を及ぼすのか楽しみである。
最後に、「〈Ship〉Ⅱ」を通して辿り着いた〈私にとっての演劇とは〉。それは、〈互いが互いを受け入れあって、優しい世界を作る方法〉である。
【鶴坂 奈央 Nao Tsurusaka】
1989年生まれ、奈良県出身。2011年、文学座附属演劇研究所卒業。2014年、京都造形芸術大学舞台芸術学科卒業。卒業後は、演劇との距離感を模索すべく3年程アルバイト中心の生活を送った。現在は関西にてフリーランスで活動中。出演作品として『イット・ファクター 残酷なる政治劇』(2016年/山本善之作・演出)、『背馳の黄昏』(2018年/同作・演出)、『繻子の靴』(2016年、2018年/渡邊守章演出)などがある。近年は、劇場以外の施設を利用した朗読の上演に、意欲的に参加している。