小濱昭博の言葉

現在、2018年9月21日(金)12:08。文章を書き始める。

あれからひと月半ほどが経ち、そのひと月半に、いろんな出来事があった。

その都度、「わたし」の立ち位置が大きく変わり、その中で私はまだ整頓された言葉を持てずにいる。

打ち上げ会場だったタイ料理屋にて。小濱が熱く語っている

打ち上げ会場だったタイ料理屋にて。小濱が熱く語っている

〈Ship〉。俳優同士で一週間一緒に過ごす中で思ったのは、否応なく影響を与え合っている、ことがとても実感される日々だった。

それぞれのパフォーマンス観たり、話をする中で、どうしても自分が揺さぶられる。それはとてもいい時間だった。

見ないようにしていた自分の疚しさだったり、現象を言葉にする中での言葉のセンスの違い、一週間の中でのそれぞれの行動趣向。一つ一つの出来事が濃密で、現在の地点から「ことば」にして固着させてしまいそうな心持ちがしてもどかしく、少し怖くもあるが、できる範囲で言葉にしようとしてみる。

月日は経ち、私は年をとる。その折々で立ちうる場所(立場)が増え、また減っていく。

〈Ship〉では、一俳優として。

その翌週の自分の企画では、演出/地元の俳優の先輩として。

さらに翌週の福岡では、演劇の講師として。

その次の週には、山形での山伏の合宿修行参加者として。

その次の次の週には、自劇団の団員、先輩、アンサンブルキャストを率いる存在として。

その傍ら、実家にいながら中々家に寄り付かない、息子として。

誰に言われたわけでもないのに、それらに相応しい立ち居振る舞いを自ら選び取っている。

自らの、立ち位置を定めたつもりでも、向かう角度によって、私の立ち居振る舞いも多様に変わり、何が自分なのかがわからなくなったりする。

忙しく振る舞う中で、気がつくと、自分が進みたい方向に注意を向けているだけになり、地点に立っている身体を見失っていたりする。

ただ、向かいたい、指向性だけが残っていく。

日常の中、刺激的だった日々を振り返ると、自分が大きく心動かされたであろう一瞬間の映像が浮かび上がっていく。

前後の情報は、私の脳に必要ないと思われたのか、ただ、俳優の立っている姿と何かに向かっている瞳が、静止画のように残っている。

どのような瞬間のそれを、切り取って記憶に残しているのかを考える。

一つはひとみの輝き方。

わからないものから逃げるように、安心を求めるひとみ。

自らの、わかり得るものしか探さないひとみ。

ではなく、

わからないものから、不安ながらも、少しずつわかるものを探そうとするひとみ。

強く何かを求めるひとみ。強く自らへ向かうひとみ。

そんなひとみの輝き方、眼差しを記憶している。

多分、その瞬間をとても美しいと感じ、その感情と一緒に、記憶している。

私の人生を振り返ってみれば、自分で道を選ぶでなく、他者に合わせて、必要なときにひとまず逃げるように、他者の求める答えを探してきた私。

2003年6月に演劇を始めた大学生の時の私にとっての、演劇は逃げ道的なものだった。

そこから15年経ち、いろんな出会いの中で、気がつくとその逆なものを演劇に求めている。

2018年9月22日(土)12:32の地点にいる、私にとっての演劇は、「わからなさ」に向かう姿勢だろう。ひとまず。

中間シェアでの小濱。何も喋らず、ただ立ち尽くすことを選択した

中間シェアでの小濱。何も喋らず、ただ立ち尽くすことを選択した

公開シェアでは、観客は携帯のライトを点けた状態にして、パフォーマンス中の彼に渡すことが選択できた。それはカンパ的でもあり、彼への期待のようにも見えた

公開シェアでは、観客は携帯のライトを点けた状態にして、パフォーマンス中の彼に渡すことが選択できた。それはカンパ的でもあり、彼への期待のようにも見えた

しかしながらも、〈Ship〉中の最後の発表において、

「わかりやすいもの」に置き換えてしまったことが少しの悔いである。

時間に追われ(締め切りに追われ〉、余裕がなくなると「わかりやすいもの」、急ぎ「説明できるもの」に置き換えてしまう自分の悪癖のようなものを今更ながらに実感している。

それらの悪癖(だと現時点での私は思っている)と付き合いながらも、定期的に「私にとっての演劇」を点検していこうと思っている。

2018年9月22日(土)12:40文章を書き終えた、ことにする。

[関連記事]

小濱昭博ワークショップ担当回

小濱昭博公開シェアレポート


【小濱 昭博 Akihiro Kohama】

1983年宮城県仙台市生まれ。俳優/演出家。宮城教育大学在学中から演劇をはじめ、震災後に立ち上がった「劇団 短距離男道ミサイル」に2012年に所属。以降同劇団の看板俳優として活躍。自身が演出をするユニット「チェルノゼム」での創作も精力的に行う。 仙台を拠点にしながらも、東京、京都、兵庫をはじめ、フランス、チュニジア、香港など活躍の場は国内にとどまらない。近年俳優としての経験を活かし、県内外でPTAや学生へ向けて、年間20本以上のコミュニーケーションのWSを行っている。