藤井祐希の言葉

2018年1月 藤井祐希

この企画に参加した感想をひとに聞かれた時、「『私にとっての演劇とは何か』というテーマがその時の自分に合っていてよかった。向き合って考えることができてよかった」「普段出会えないひとたちと出会えてよかった」「集団生活のピークが3日目に来た」「今後の人生を考えていくための糧となった」というようなことを主に答えています。そしてとてもいいタイミングで、良い企画に参加できたと思っています。与えられた問いや抱えていた悩みや、そこで新たに発見した問いに、私はひとの力を大いに借りて存分に悩み、考えることができました。そんな、7日間俳優として若葉町WHARFに滞在し、最終日に公開シェアを行った感想などを、アンケート形式で振り返ろうと思います。

[大変だった点はなんですか?]

ほぼ初対面の人たちとの集団生活もなかなか大変だったのですが、1番はやっぱり1週間という時間の少なさでした。朝から晩までフル活動をしても私には全然時間が足りなくて。ただ時間が限られていたからこその濃いプログラムだったと思うし、答えをどうしても叩き出すために限界まで頭を絞るみたいなことができたので、それはよかったです。

[印象に残った出来事はなんですか?]

参加者が各担当したWSや街歩き、文学イベントなど、刺激的な出来事は多くありました。さらに言えば家族以外の人たちと同じ部屋で寝泊まりするという経験も、高校生の修学旅行以来だったので、7日間すべて漏らさず印象的というか、新鮮な出来事でした。その中でも特に、4日目に鹿島さん発で行った、参加した俳優5人がそれぞれ1時間ずつくらいの持ち時間の中で一対一で話をするというイベント?が私は印象的でした。自分の考えを深められたのは勿論、やっぱり誰かの話をじっくり聞く、その人の感性や人間性に触れる、特に今回であれば演劇観に触れるというのがとても面白かったです。

自分以外の4人の俳優と言葉を交わして、特に印象的だったキーワード、みたいなものはこちらです。『ネガティブとポジティブの両立』『演劇をベースにした演劇ではないなにか』『自分にとっての当たり前』『演劇好きじゃん……』

出来事というか体験というか、仕事や家を放って知らない町に滞在して1週間を過ごすという、日常から切り離された体験はとてもよかったです。作品や自分の考えに意識を集中できるし、そのためだけの時間として1週間を使えたのは贅沢だったと思います。これは声を大にして言いたいです。それからこの企画やその中で行われたイベントなどを通して、普段は出会えないようなひとたちと出会い、交流できたことがとても実りあることでした。

自分の担当回で使った質問一覧。問われたメンバー曰く「面と向かって聞かれると答えに窮する質問ばかり」とのこと

自分の担当回で使った質問一覧。問われたメンバー曰く「面と向かって聞かれると答えに窮する質問ばかり」とのこと

[それぞれのWSや発表はどうでしたか?]

WSはこのひとはこれを面白いと感じるのか、こういうことを求めているのか、これが嫌なのかなど、やっぱり自分と価値観が違うので面白かったです。共感できるところも、できないところもあって。ひとの数だけ演劇観があり、目的があり、こだわりがあり、普段じっくり聞く機会のないそれを知ることができたことが最高でした。

自分のWSに関しては、みなさん全力で取り組んでくれてありがたかったです。もちろん私もひとのWSの時は全力だったのですが、単純に楽しく取り組めたので、真剣に、など以前に夢中で取り組めたなと思い返して、そういう雰囲気がとてもよかったです。自分がやりたいのかもしれないこと、に対するヒントも多く受け取ることができました。

発表は各自の『私にとっての演劇とは何か』が、ダイレクトに伝わってくるのが面白く、また1週間共に過ごしてきた集大成でもあったので感慨深く見ました。このひとにとっては、私にとっては、と、発表を見ながら考えることが多くありました。同じ問いを受け取っても、その出力も、恐らくは受け取り方も各自違っていて、とても面白かったです。あとは来てくれたお客さんが、とても真摯に私たちの取り組みに向き合ってくださって、ありがたかったし嬉しかったです。

[どうして最終日の発表はああいう形にしたのですか?]

私は人の力を借りなければ生きていけないし、自分を客観的に捉えることも難しい人間なので、私が何を考えていてこれからどう生きたいのか、みなさんに考えてもらおうと思ったからです。一種の進路相談でした。

こういうことをやろうかな、という候補はいくつかあったのですが、主に時間の問題により断念しました。だけどどれも、作品というカタチではなかったです。私には、7日間で自分の納得のいく作品をつくることができないと思った。与えられた限られた時間で最高のものをつくる、ということって俳優に求められる技術だと思うのですが、焦って作品という枠に自分の考えを押し込んで殺してしまったり妥協してしまったりすることが今の私には本当に嫌でした。でも、ただのプレゼンも嫌だったので、せっかくだからお客さんにも協力してもらおうということでそうなりました。あ、あと私はどうにも内に閉じてしまいがちな人間なので、ひとに開く、開かれた場であるということを意識しました。

公開シェアにて前説をおこなう藤井。観客に参加を求め、彼女の用意したアンケート項目を使って観客から彼女へ問いかけていく試みだった (写真:寺田凜)

公開シェアにて前説をおこなう藤井。観客に参加を求め、彼女の用意したアンケート項目を使って観客から彼女へ問いかけていく試みだった (写真:寺田凜)

[実際に公開シェアを行ってみてどうでしたか?]

「へー、私はちゃんと演劇やりたかったんだねー」とまず思いました。

もちろん協力してくれたお客さんたちは私ではないので、私の考えとは違うことも言っていたと思うのですが、彼(女)を通した私はそういう風に見えるのかというところでも、 とても興味深かったです。この時の私は4年間の俳優人生で2度目の『演劇を辞めるか否か』という問いに悩んでいて、いまもこれといった答えは出ていません。ただ、辞めなくてもいいな、といまは思っています。

[企画に参加した目的は?実際に参加してみてそれは果たされましたか?]

自立した俳優になりたい、と思っていたのがこの企画に参加したきっかけでした。演出家のいない環境での作品づくりがしたくて、〈Ship〉の話を聞いた時に、これだ!と思いました。実際に参加してみては、自分の考えが参加しようと思った当初とは少し変わっていたので、よく取り組んだのは「私にとっての演劇とは何か」に対する答えを1週間以内に出すという点と、「自分がわくわくすることだけをやる」という点の徹底でした。自立した俳優になるための自力で作品をつくる、ではなくて、自分が本当にやりたいことはなんなのか、楽しいと思うことはなんなのか、という自分と向き合い知る作業を妥協せずにできたかと思います。私は結果的にそれに取り組むことを選択したのですが、やろうと思えば 当初の目的通りのことも十分できただろうし、そのどちらでもないことに取り組むことも勿論できたと思います。だけどあの時の私は様々なことに悩んでいて、その悩みに向き合 ったり考えたりすることが、確固としてやりたいことでした。だから自分のやりたいことを貫いたわけですが、この企画はそれが許される場であったことが幸いでした、場というか、人だったのかもしれないのですが。

公開シェアの前日の夜にメンバーに協力してもらって試行錯誤する風景

公開シェアの前日の夜にメンバーに協力してもらって試行錯誤する風景

[この企画を経て、今後をどう考えますか?]

いまの私は『私はほんとうは何をして生きたいのか』ということを、この企画からの延長で考えています。それを先日バイト先の先輩に話したときに、『それはみんな考えていると思う。でもなんとなく今の仕事についてるひとも多いと思う。だからその言葉はすごく哲学的に聞こえた』と言われたんです。そこで私は、そうか、みんな考えているのかと驚きました。みんなほんとうにやりたいことを考えたり悩んだりしながら、働いたりしている。演劇もきっとそうで、みんな自分は何がやりたいのか、なぜやるのかを考えながら 作品をつくったりしている。私は答えを出さなければ動けない気質があって、分からない ままでもやってみることは大事だと昔ひとから言われたことがあります。そして確かにそうだと思います。けれど今、『私がやりたいことはほんとうに演劇なのか』『今演劇にあまり興味が持てないかもしれない』という悩みにぶつかって、私は停滞気味です。とりあえず動いてみることも必要だと思うけれど、この悩みに似た気づきを大事にしたいとも思います。もう〈Ship〉に参加してから一か月以上が経ち、まだ答えを出せないのは遅いのかもしれないのですが、私はどうしても、もう少しだけ考えたいです。演劇をはじめてから今までの様々な経験を、この企画で得たものたちを無駄にしないように、そして何より一度しかない人生を中途半端に生きたくないという願望が強いので、答えが出るまで考えようと思います。今後のために必要な、ひととの出会いやコミュニケーション、存分に考える機会をいただけた今回の企画に参加できて、ほんとうによかったです。ありがとうございました。

[最後に何かあればお願いします]

最終日のために試行錯誤を繰り返す中で、私は演劇をやめるという体での遺書を書いてみました。読み返してみたら、割とあの時考えていたことがダイレクトに反映されているなあと感じたので、最後に載せてみようと思います。この企画に参加していた頃の私の思考です。そしてやっぱり、今読むともう、ちょっと古いなあという感じがします。だけど頷ける部分もまだある。こうやって思考の更新を繰り返しながら、ゆっくり、前に進んでいくのだろうと思います。

(演劇をやめるための)遺書

欲しいものはぜんぶ手に入れたい。何かを成し遂げるために、何かを諦めるのも、我慢するのもナンセンスだ。よりよく生きるために、どうしてつらい思いをしなければならないのか?と、二か月前くらいに思った。人間誰でも自分が正しいと思って生きていると思っていて、なぜなら自分がそうだから。だけどその正しさはひとに押し付けるべきものではない。ひとの数だけそのひとなりの正しさがあって、ただそのことを善しとして生きていけたら、それはとても好ましいことだ と思う。「あなたは演劇をやらなくていいし、むしろ今すぐやめた方がいい」と言われたことがある。余計なお世話だ、と今の私は思うけれど、当時の私はとても傷ついた。「演劇をやらなければ生きていけない」と言っていた先輩がいて、羨ましいなあと思った。「演劇をやっていない自分を想像できない」と言っていた後輩がいて、素敵だなあと思った。

演劇をやっていいひと、というのはそんな彼らのようなひとたちだろうか? 確かに私は、演劇をやらなくても生きていけるし、演劇をしていない自分を簡単に想像できる。役を演じることが好きなわけでも、舞台に立つのが好きなわけでも、演劇が楽しいわけでもない。私が演劇をやっているのは、自分の生きづらさを改善したかったのと、空気みたいに生きてきた人生ではじめて自分でやりたいと思ったものへの執着だったのかもしれなかった。

私が今一番やりたいことは、生きたいように生きることだ。 私が現時点で一生続けたいことは、生きやすさの追求とできないことへの挑戦だ。と、いうわけで私は演劇をやめます。とても前向きにやめます。私を応援してくれたみなさん、支えてくれたみなさん、ほんとうにすみません。そしてありがとうございました。

20171202 藤井祐希

(写真:寺田凜)

(写真:寺田凜)


【藤井 祐希 Yuki Fujii】

1993年生まれ。群馬県出身。2014年に上京し、座・高円寺が開設している演劇学校、劇場創造アカデミーで2年間演劇を学ぶ。修了後2年間はフリーの俳優として精力的に舞台に出演。活動に迷いがでてきたため、現在は舞台に立つことを休止して、自分がやりたい表現とはなにかを模索している。