坂東芙三次・担当回

色鬼で体を温めてからスタート。

彼女の進行は、身体を実際に動かしてみてから、何故そこに自分にとっての〈演劇〉があるとしているのかを考察していくところが特徴的でした。どうも作業内容だけ書くと技術WSのように受け取られてしまいがちですが、独特の世界観と語り口を持つ坂東さんは、とりわけイメージと身体の結びつき方とその変化に彼女の〈演劇〉の所在があることを伝えます。

そんなわけで、まずは初対面同士での、でたらめな他己紹介。「こう見えて〜」ではじまり、何を言っても、どんな紹介をしても可。でたらめを言いながら、小さなフィクションを積み上げていく。自分でないような、架空の誰かになりつつ、ワークショップに参加するような、不思議な空間に変容していく。

二人組になって歩く。最初は並んで歩き、徐々にペースを上げる。s

相手を感じ、気配を探り、察知して動く。続いて、真逆の気配を悟らせないゲーム。相手も、観客も、「あのひと、動くな」って思わせないで、動く。 予感をさせないで、動くには。 言葉にならないけど、感じでいること。その中にある不思議に、アプローチしていく。

想像上のストレッチ。自分の身体をイメージだけで動かしてみる。

実際に動かしたように身体に変化が起きることに驚く参加者たち。

歩くという動きを使って自分の感覚を開いてみる。

シャットアウトしている刺激に向き合う。見えている光、聞こえる音、肌の感覚。極限までゆっくり歩いてみて自分の体はどうなっているのかを探る。

などなど。

そのほかにも少しずつ作業課題を増やしていきながら、彼女が信頼を置く感覚上の負荷やイメージの多層性を開示する時間でした。現場で混乱のもとになりやすい〈イメージ〉という用語に、坂東さんは慎重にアプローチをかけていくのですが、そのひとつひとつの考察と感覚上の整理から伺えるのは、彼女の〈演劇〉が机上の美学ではなく、何度も身体を通じて確かめられながら勝ち取られたものであるということでした。

今回、ひとことで定義するような言葉は今日の段階では出てきませんでしたが、交わされる言葉以上の体験を参加メンバーに手渡していました。

以下は、参加した小濱さんのメモと記録係の牧くんの雑感。

「他者から測定される、何者か、であること。日常的に負わされている「役」としての、「私」からの解放、そもそも囚われることが必要ないのではないか?

また、クリエーションの現場で、安易に使用される「イメージ」という言葉に対して疑問。俳優が「イメージ」という言葉が持つ利便性に甘えてしまうこと、また、そこと稽古場の権力性が結びつき、稽古場でのコミュニケーションにズレが生じていようとも、「イメージ」という言葉でうまく包んでしまうことで、本質的な解決の場を失わせてしまう。という問いかけ。

身体的(物質的)な「私」、と、身体的(物質的)に重なり切らない「私」。両方の像を抱えている身体に、ある制約を与えることで、速度と熱量を上げていくこと。」(小濱)

「演出家から渡されるイメージという言葉の不確かさについて考えました。何を想像すればいいのか。その頼りとは何?

自分の身体や真横にいる誰かのことをイメージするとき、想像が具体的に動きと連動する感覚の気持ち良さを感じました。」(牧)


【坂東 芙三次 Fumiji Bandoh】

1984年生まれ、愛知県出身。日本大学藝術学部演劇学科演技コース卒。日本舞踊志賀次派坂東流名取。2012年より静岡県舞台芸術センター(SPAC)参加。主な出演作に、宮城聰演出『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』『メフィストと呼ばれた男』、大岡淳演出『王国、空を飛ぶ!~アリストパネスの「鳥」~』、多田淳之介演出『歯車』、セリーヌ・シェフェール演出『みつばち共和国』など。演出・出演作品では、2013年ギィ・フォワシィ劇コンクール『相寄る魂』にて敢闘賞・讃陽食品賞・朝日ネット賞を受賞、利賀演劇人コンクール2013『紙風船』にて出場。