[坂東芙三次ビフォー・アフター]
合宿に参加する前、持ち回りで行う「私にとっての演劇」のワークショップに向けて準備を進めていたとき、大切にしたいと思ったことがいくつかある。
俳優として新規の現場に行くと、自己紹介の必要に迫られることが多い。
「普段どんなお芝居に出てるんですか?」
「劇団とか事務所は入ってるの?」
アイスブレイクのためには仕方がないし、ご一緒するキャストスタッフのみなさんに「知りたい」と思ってもらえるのは、興味を持たれないよりもずっと、本来ありがたく喜ばしいことのはずだ。
俳優には身に覚えのある人もいると思うのだけど、そういう一見ユルい会話のなかで関係を探ることのないまま、いきなり演技と演技を人前でぶつけ合う場、というのもあるはずだ。わかりやすい具体例は、オーディションである。
オーディションで見知らぬ誰かとペアやチームを組まされて、10分20分で軽く打合せや稽古をしてくださいと指示されたとき、相手の肩書きやキャリアをうだうだ探る俳優はいない。挨拶は「よろしくお願いします」一言のはずだ。
集中している。ただ一緒に演じる。
相手がどう出るか未知数、タブーや地雷がどこにあるのか、ぼやっとしてると食われるのか、やってみないとわからないけれど、「集中しないと」という情けない悩みとは無縁な時間だ。
この合宿では、せっかくなら相手が「どんな人なのか」あるいは「演劇をどうとらえているのか」に身軽にフォーカスしたかった。そのために、経歴、つまり自分が大切にしている仕事を世間話のネタにする行為は、邪魔なお荷物だと思った。
用意していたワークショップのメニューには、自分で勝手に考案したもの、過去にどこかで受けたワーク、それらを混ぜ合わせたものなど、さまざまなルーツや出典が当然ある。
まことしやかな注釈の類は最大限、排除して進めたかった。
「本場の○○システムのやり方」とか「実際に○○で行われているトレーニング」「○○を養うためのワーク」と口にすると、ワークショップを進める側も受ける側も、安心には違いない。時間を費やすだけの価値が保証されていく感がある。
ただ、そうすることで奪われてしまうものを、今回はできるだけ捨てたくなかった。説明する前に、まずやってみる方式を取った。やったあとも、一番大事な部分しか説明しない。
みんな勝手に自分の感じたことを感じる自由がある。
私がワークショップで提示したかった切り口は、理屈ではない。しいて言葉にすると、日常の肩書きが無意識に荷物になっていること、体を変化させる具体的な「イメージ」の問題、予感、動きの速度と内側の回転数との関係などだ。
感覚が共有できたか、というのは、ハッキリ言って正しく証明できることではない。どこまでも、通じた感じがする、という感覚の問題である。でも、ハッキリ言って今回の場合はそれで十分だと考えた。統一が目的ではないからだ。
統一が目的ではない体、といま無意識に言葉に出た。そんな体で臨みたいと、当時の私は思ったのだろう。クリエイションワークショップや技術伝達の場ではできない取り組み、なおかつ俳優の専門技術の探求、そこからブレないために。
「次なる」舞台俳優のための……と企画のタイトルに書かれてはいるけれど、感覚上の問題として、新しいことをやろうと頑張らないように気を付けた。
自分が普段当たり前に考えていること、持ち続けている問題、繰り返しても飽きないワーク、そういうものを落ち着いて信じることにした。
信じてよかった。
というのは、3つある。
今回のメンバーはみんな、正直な興味関心に沿ったワークショップを持ってきていた。それぞれ、自分にとっては当たり前に普段から考えていること、持ち続けている問題を、ぽんっと持ってきている感じがした。
もちろん、頑張って考えをまとめたりワークに落とし込んだりはしてきているんだけど、みんなマイペースだった。
で、デジャブがなかった。
出発点が自分だからだろうか、と想像する。
「こんな人いたんだ!」という衝撃が、短い滞在のなかで何度か訪れた。すごく予想外だった。
同じ相手でも、共演するだけでこうはならなかったんじゃないか、と思う。人っておもしろい。
動きと出会う瞬間の感覚を邪魔しないように、なるべく先に説明しない方法でワークショップを進めていった。これはジェントルなようでいて、まず勝手に自分で感じてみてくださいっていう、多少クールに突き放したやり方でもある。
当日進めてみて気付いたのは、自分の体を好き勝手にモニターしながら、リードしている私が何を意図しているのか、にもセンサーを向けてくれている、という点だった。
その何とも言えない距離感のよさが、ありがたかった。
みんな、特別なことをしているつもりはなかったと思う。
俳優同士だけでクローズドの空間を作る、そこでしかひらけない体の質や踏み込んだ言葉がある、そのことの意味をたとえばそんなところに感じた。
滞在の最終日、成果発表とも報告会ともつかない「シェア会」なるものが催されて、ほぼ関係者クローズドでやってきた空間に、おおぜいのお客さんを招くことになった。
ものすごいインパクトだった。
ここで、責任、という言葉に思い至った。
お客さんの目と耳、体は私たちにひらかれている。
さて、神様にどう責任を取るんだ?
単純なこと、社会での立ち位置とか史上新しいことを生み出す、以前の根本。
おもしろいか、おもしろくないか。
大事だと思う。
そこに命をかけなかったら、何をもとに頑張ればいいのかわからない。
現場に応じてさまざまな状況があり事情がある。芸術の価値は主観によってしか決まらないという学者もいる。単純な話、何がおもしろいかは人の好みだ。
でも大事だと思う。
お客さんに、来た甲斐がある、という一事が。
それを実現する技術、忘れない技術をこれからも追求していきたい。
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【坂東 芙三次 Fumiji Bandoh】
1984年生まれ、愛知県出身。日本大学藝術学部演劇学科演技コース卒。日本舞踊志賀次派坂東流名取。2012年より静岡県舞台芸術センター(SPAC)参加。主な出演作に、宮城聰演出『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』『メフィストと呼ばれた男』、大岡淳演出『王国、空を飛ぶ!~アリストパネスの「鳥」~』、多田淳之介演出『歯車』、セリーヌ・シェフェール演出『みつばち共和国』など。演出・出演作品では、2013年ギィ・フォワシィ劇コンクール『相寄る魂』にて敢闘賞・讃陽食品賞・朝日ネット賞を受賞、利賀演劇人コンクール2013『紙風船』にて出場。